2008年12月30日

辺章(へんしょう)

本作での呼び名=


韓遂と共に北宮玉らに担がれて叛乱を起こした。鎮圧に来た皇甫嵩や、董卓、孫堅らを従えた張温と戦ったが、味方の韓遂、王国に裏切られて北宮玉と共に殺された。


出典:My三国志百科事典
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張鈞(ちょうきん)

本作での呼び名=

後漢霊帝後期の郎中。
中平元年(184)、黄巾賊の叛乱が起きると郎中張鈞は霊帝に「民衆が黄巾賊に参加したのは、十常侍の親類縁者が州郡の要職にあって民衆を侵害し蓄財に耽った為で、十常侍を斬れば軍を動かすことなく叛乱を鎮圧できる」と上奏した。霊帝はその上奏文を張譲らに見せてその旨を問い質したが、張譲らが官を辞し家財を軍費の助けにと差し出した為に許され復帰した。霊帝は怒って張鈞を黄巾賊の一味として逮捕し、張鈞は獄中で死亡した。

出典:三国志事典15X-31X
タグ:張鈞
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第64話 ヒゲが払え

洛陽に近づくにつれ、周りも賑やかしくなってくる。

さすが皇帝のいる都だのう。

しかし、せっかく黄巾賊をほぼ平定したのに

付近の農民たちの覇気が全く感じられない。

官軍や俺たちだけがはしゃいでいて

なんとも滑稽に思える。

まだ俺達の住んでいた幽州や田舎の方がマシかもしれん。

まだ実感がないだけなんだと思いたいのう。

ヒゲ、豚、図々しい奴は今後どうするんだろうか。

恩賞次第だから今後の事は後で考えよう。

まぁお前たち個々に恩賞が与えられるはずもないだろう。

お前たちを率いた俺だけが貰うのが筋だ。

そうとなれば今までの態度が物を言うな。

豚はまぁよしとして、ヒゲと図々しい奴は駄目だな。

散々人を馬鹿にしくさって。

お前たち後悔するがよい。

ヒゲと図々しい奴にはびた一文やらんからのう。

豚はちょっと手に負えないところがあるが、

素直で実直だから許すとしよう。

ふふふ楽しみだのう。

さぁいよいよ入洛だ。

皇甫嵩や朱儁、孫堅達が城に入っていく。

さすがの俺でも今回ばかりは城外で待てと下知が来る。

まぁ仕方無いかのう。

今はまだ名もない農民上がりの義兵だからの。

いづれ皆すっとんで俺を迎えに来るだろう。

この俺の計略がなければ勝てなかったんだからな。

母ちゃん楽しみにしてろよ。

立派になった息子が恩賞を携えて帰郷する日は近いぞ。

こうして俺達はしばらく城外で待つこととなった。

適当に陣を張り、ヒゲ豚はさっさと飲みに出かける。

重症の簡雍は一応町医者に診てもらう。

俺も沙汰有るまで飲みに出かけようと思ったら、

聞き覚えのある声で呼びとめられた。

酒を飲みに行く前にこの代金を支払ってくだせぇ。

ん?

何だそれは。

よくよく見るとそれは俺がヒゲと豚と

初めて会った酒屋での飲食代だった。。。

ま、まだ覚えてたのか?

というか酒屋の主人も付いてきたのかよ。

店はどうしたんだ?

ただ今はまだ倍払えるほど余裕がない。

恩賞をもらったら払ってやるし、

それまで待ってくれるなら

更に倍にしてやっからと言い聞かす。

あぶねぇあぶねぇ。

ただあの時一番飲んだくれてたのは

俺でも豚でもないぞ。


ヒゲから徴収しろ。




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霊帝(れいてい)

本作での呼び名=

桓帝(劉志)に子がいなかったために、桓帝の崩御後に陳蕃らにより擁立された。宦官と外戚の権力闘争で疲弊したと評価される後漢であるが、霊帝の治世になり宦官の優位が決定的となる。即位の翌年陳蕃らによる宦官排斥が計画されるが、事前に露見し宦官らの逆襲を受け桓帝時代の外戚は排除され、宦官が権力を掌握した。霊帝本人は暗愚な人物で、宮殿内で商人のまねをしたり酒と女に溺れて朝政に関心を示さず、政治の実権は張譲ら十常侍と呼ばれる宦官らに専断されることとなった。 また、売官を行うなど「銅臭政治」と呼ばれる、賄賂がまかり通る悪政を行ったため、売官により官職を得た者による苛斂誅求により民力は疲弊し、同時に治安の悪化を惹起したため後漢の国勢はますます衰退していく。
社会が不安定な184年、大賢良師・張角を首領とする黄巾の乱が発生する。反乱により後漢王朝は危機に見舞われたが、董卓や皇甫嵩ら地方豪族の協力と、張角の急死により鎮圧に成功した。しかし、反乱により後漢正規軍の無力化が露呈し、地方豪族の台頭を許すこととなった。
189年、国内がさらに乱れる中で崩御。後継者を明確に定めていなかったため、崩御後に実子の劉弁と劉協との間で皇位継承争いが起こることとなった。
霊帝の時代は宦官を重用し、民衆に重い賦役を課して民心は完全に離反した。黄巾の乱の結果、皇帝権力が衰退して地方豪族の力が強大化し、三国時代への前段階の時代となっている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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何進 遂高(かしん)

本作での呼び名=

何氏の家は元は屠殺業であったとされるが、基本的には南陽の有力豪族であろうと考えられる。同郡出身の宦官郭勝の後押しがあって異母妹が宮中に入ったが、彼女が霊帝に見初められついには皇后となったことが何進の栄達につながった。184年に黄巾の乱が勃発すると大将軍となり、乱の鎮圧に当たった。何進自身は戦地には赴かず、黄巾の乱後の各地の反乱でも常に洛陽に居たため、実質的な指揮者は張温、皇甫嵩、朱儁、盧植、董卓、周慎らであった。この頃、中央では霊帝の皇后何氏と霊帝の母董氏の間で激しい対立があった。黄巾の乱が鎮定されると霊帝の軍制改革が行われた[1]が、西園三軍(西園八校尉)を設置し、上軍校尉に大将軍以下を総領する権限を与えたために、董氏と何氏の対立は宦官蹇碩を巻き込んで激化した。これに対して中軍校尉の袁紹は何進と積極的に結びついて蹇碩らと対立し、追い詰められた蹇碩が何進の誅殺を企てたところで、宦官は郭勝を中心として蹇碩を見捨て、何進に与した。その結果、ついに蹇碩ならびに董氏一党は排除された。
霊帝が死ぬと、それまでの悪政で朝野に鬱積していた不満が爆発し、特に宦官が世論の批判を浴びるようになった。そこで何進は蹇碩に殺されかけた怒りもあって宦官の排除に乗り出し、袁紹ら幕僚たちを集めて積極的に諮ったが、何皇太后や弟の何苗は宦官を擁護したため、何氏同士で対立が生じる構図にもなった。
何皇太后が兄に対して宦官を弁護したため何進が争いに及び腰になると、袁紹は地方の諸将を都に呼び寄せて太后らに圧力をかけることを提案する。これに対して盧植・陳琳が反対したが、再三の袁紹の催促の結果、何進はこれを容れた。このとき曹操も反対したと王沈の『魏書』では伝えるが、このころの曹操にはまだ政治的な発言力が無く、歴史的意味合いはない。また、袁紹が大将軍の命と偽って各地に指令を出したこともあった。このような緊迫した情勢のため、袁紹は何進に対して宮中に軽々しく入るべきではないと忠告していたが、何進は無警戒に宮中に参内したところを宦官によって殺害されてしまった。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タグ:何進
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