2008年12月17日

皇甫嵩 義真(こうほすう)

本作での呼び名=左

安定郡朝那県出身。皇甫棱の曾孫、扶風都尉皇甫旗の孫、皇甫節の子、度遼将軍皇甫規の甥、皇甫堅・皇甫寿(もしくは堅寿)の父、皇甫謐の曾祖父、皇甫酈の従父。
霊帝の在位中、議郎、北地太守を務める。黄巾の乱勃発の際、左中郎将に任命され乱鎮圧に向かう。当初は劣勢であったが、潁川、汝南、陳、東郡の各地を転戦し勝利を上げ、ついに広宗の戦いで黄巾賊の首領張角の弟張梁を討つとともに、病死していた張角の棺を壊し首を首都(洛陽)へ送る。さらに曲陽では張角の弟張宝を討ち、黄巾軍の討伐に成功する。この功により、左車騎将軍に任命され、槐里侯に封じられ八千戸の食邑を与えられ、冀州牧を命じられる。
その頃、冀州の信都の令であった閻忠は皇甫嵩へ、世は乱れており自身の名声と行いが自身に災いを招くこと、それを避けるために独立して軍兵を動かし天下を一つにまとめ、民心に従い漢王朝に代わり帝位に就くようにと、韓信の故事を引いて説得した。しかし皇甫嵩は拒絶し、閻忠は逃亡した。
辺章ら反乱軍の討伐を命じられ功をあげるが、中常侍の法令違反を上奏し、賄賂の要求を拒否したため中常侍に讒言され、左車騎将軍と食邑六千戸を取り上げられ都郷侯に封じられた。
188年、賊の王国が陳倉を攻撃した際、皇甫嵩が討伐を命じられ、董卓の軍を率いて向かった。その軍中で董卓の提案する策をいずれも退け、その正反対の策を用い勝利を収める。このことから董卓に憎まれることになる。同年中に二度にわたって、朝廷から董卓に対し、軍権を皇甫嵩に渡して帰還するよう指示が届くが、董卓は拒否し、彼は朝廷に事の次第を上書、争いは決定的となり、後に董卓が中央で政権を取ると召還されて逮捕投獄される。危うく死刑になりかけるが、董卓と親しくしていた息子堅寿の取りなしで免罪され、議郎に任じられた。 後、董卓が太師となり壇上へ赴く際、彼一人が頭を下げなかったので「義真、まだかな?」と問われ、「これは失礼した。」と謝罪をしている。
王允・呂布による董卓殺害後は再び栄進し、征西将軍、車騎将軍、太尉にまで登りつめたが、その直後の195年に病没。驃騎将軍の印綬が贈られた。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タグ:皇甫嵩
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朱儁 公偉(しゅしゅん)

本作での呼び名=右

若い頃から義を好み智勇に優れるが、三国志演義では、黄巾族討伐軍で麾下に加わった劉備らに翻弄され、その後劉備の功績をすべて自分のものにしてしまった無能で欲深い将軍として描かれているが、実際の朱儁は何度も功績を立てた名将であり、反乱が起こるたびに各地へ派遣され、平定しては呼び戻されているなど、中央からの信頼の厚さをうかがわせる。
その生い立ちを見ると、「若くして父を失い、母がいつも絹を売って生計を立てていた。朱儁は孝養を尽くして評判となり、県の門下書佐となった。義侠を好んで財貨を軽んじたので、郷里の人々は彼に敬服した」(『朱儁伝』)とあり、劉備と同じような生活環境であったが、正攻法で身を立て、実績を挙げて栄達した人物といえる。
同じような環境で育ちながら、劉備は度量のある有能な人物に描かれ、一方で朱儁は狭量で無能な人物に描かれているが、『演義』において劉備ら主役を引き立てるために創作・改変されてしまった多くの人物の一人といえるだろう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タグ:朱儁
posted by うさんく斎 at 23:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 登場人物 「その他」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年末年始の過ごし方

いつも訪問して下さってありがとうございます。
いよいよ2008年も終わりに近づいてきましたね。
朝晩冷え込みますのでお体には十分お気を付け下さいませ。
ところで皆さんは年末年始のお休みはどれだけありますか?
大型連休になるので海外にでも行く方いらっしゃるんでしょうか?
いくら円高でも未曾有の不景気ですから無理ですかね…
早く景気良くなってもらいたいもんです。
私はずっと仕事ですね。
サービス業はこういうとき辛いです。
まぁ稼ぎ時だから文句は言えないですけど、
調べてみたら2月3日まで丸一日の休み無い私死んだガハァ。。。




ついでにクリスマスも

posted by うさんく斎 at 01:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | うさんく斎のつぶやき・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

第52話 俺が怖い

待てまて待て−い。

お前ら先を急ぎすぎだ。

後ろをよく見ろ三馬鹿どもめ。

そんなに急いで行っても黄巾賊は逃げないって。

案の定、後方の兵士がついて来れず、

軍が縦長に伸びてしまっている。

仕方がないので前方の軍はヒゲ豚田舎もんの三馬鹿に任せて、

俺は後方の軍を指揮することにした。

このまま一隊を率いて離脱してもいいんだが、

恩賞が貰えないからそれは出来ない。

まぁのんびりいこうやと後方の隊に伝えて、

そこそこ足早に付いていった。

二晩ほど休みながら駆けただろうか。

前方にうっすらと城が見えた。

おおおやっと青州に入ったのかと安堵する。

と思いきや城の周りで戦闘が始まってるではないか。

ちょうど黄巾賊が攻城してる時に

三馬鹿が突っ込んで行ったに違いない。

それ見たことか。

相手は大軍だから見るからに劣勢だ。

囲まれかけてるのを何とか豚が奮戦してるみたいだ。

だがこのまま放っておけば官軍は全滅だろう。

ヒゲもいよいよお終いだな。

いやいやいかんいかん。

負けたら恩賞が無くなる。

かといってどうする?

こっちは明らかに少数だし、的確な策も浮かばない。

しばらく待機して考えていると、

こちらに気づいた黄巾賊の一隊が突っ込んできた。

いや一隊どころではない。

およそ半数が突っ込んできた。

これだから烏合の衆は困る。

少しは慎重に行動せーいと叫びながら俺達は反転する。

おお付いてくる付いてくるわい。

とにかく策がなければ逃げるしかない。

と黄巾賊の軍が分散された時、城から官軍がどっと出てきた。

田舎もんの部隊に気を取られていた黄巾賊は大混乱。

俺を追ってきた軍勢も後方の出来事が気になるのか、

勢いがばらばらになっている。

今度はこちらが黄巾賊を囲むような陣形になった。

そうなれば相手はどうする事も出来ない。

あっという間に黄巾賊を撃退することができた。

俺なんか刀も抜いてないのにな。

またまた拍子抜けだ。

素晴らしい伏勢の計だと田舎もんに褒められる。

当たり前の反応だな。

お前らみたいな単細胞とは違うんだよ。

あまりにも俺の頭の冴えぶりに


俺が怖くなったわい。


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posted by うさんく斎 at 00:22 | Comment(2) | TrackBack(0) | 第二章 黄巾賊討伐編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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