同郷出身の劉備とは旧知の仲であった。早い時期から常に
劉備に随伴しており、劉備が黄巾の乱で義勇軍を立ち上げる際にも
関羽・張飛と随伴し、劉備の話し相手になったり使者を務めたりした。しかし、傲慢で無頓着な性格だったため、他人からの反発を買うことも少なくなかった。諸葛亮に対しても遠慮をしなかったという。劉備が厳しすぎる禁酒令を出した時は、これを諌めている。劉璋に降伏を勧める使者として成都に入城し、結果、劉璋を降伏させることには成功した。
劉備から昭徳将軍に任命されている。
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