後漢末期に黄巾の乱を起こした指導者・張角の次弟。
兄が黄巾の乱を起こすと弟の張梁と共にこれを補佐し、『地公将軍』と自称した。兄・張角は反乱を起こしたときにはすでに病に倒れていたため、実質的には張宝が指揮を執っていたといわれている。
しかし官軍が態勢を整えると、黄巾軍は敗北し広宗に籠城、籠城中に張角は病死し、張梁は戦死する。残る張宝は下曲陽に籠城したが、皇甫嵩率いる官軍に大敗し、首は京観として城南の塚に埋められた。
三国志演義では張宝は妖術を使うことを得意とし、その妖術をもって官軍を何度も撃破しているが、朱儁の策で術を破られ敗走し、のちに部下の厳政に殺された。吉川英治の小説では劉備軍の奇襲を受け同士討ちを始めたところを劉備に弓で射殺されている。
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