2009年01月02日

袁術 公路(えんじゅつ)

本作での呼び名=

青年期は侠人として知られ、仲間達と放蕩な生活を行っていたが、後に改心、孝廉に挙げられると官は河南尹、虎賁中郎将に至った。
189年、霊帝崩御後、袁紹と共に政権を掌握していた宦官数千名を誅殺した。董卓が入京後に後将軍に任じられたが、害が及ぶのを怖れて荊州の南陽へ逃れた。長沙太守の孫堅により南陽太守が殺害されると、袁術はその後任として就任、南陽郡を支配し孫堅を豫州刺史に任じ董卓を攻撃させた。南陽郡は人口が多く豊かであったが、袁術が奢侈な生活を追及し、過酷な徴税を行ったために民衆は苦しんだと伝えられる。
袁術は袁紹と対立しており、それぞれ群雄と盟約を結び対抗した。袁紹と同盟したのが曹操・劉表・韓馥など、袁術と同盟したのが孫堅・公孫瓚・陶謙などである。袁紹は董卓により擁立された献帝に対抗すべく、劉虞の擁立を計画したが、袁術はこれに強く反対している。
192年(初平3年)、孫堅に命じて劉表の攻略を計画するが失敗、孫堅は敗死している。翌年、兗州の曹操への攻撃を行うが曹操と袁紹の連合軍に大敗、揚州へと逃走し寿春を拠点とした。李傕は長安に入ると、袁術と同盟を結ぶため、袁術を左将軍・陽翟侯に任命し節を与えた。
その後、孫堅の遺児である孫策に揚州を攻略させ、揚州刺史劉繇を討たせるなど勢力を拡大するが、獲得した領土は袁術配下の武将に分配された。この行為は孫策の反感を買い、後の離反の要因となっている。
ちなみに、その時に幼少であった陸績が袁術の元におり、袁術が陸績に間食として蜜柑を与え陸績がそれを母親に食べさせたいからと言う理由で隠し持って帰ろうとしたことが判り「とても親孝行な子供だ」と自ら褒め称えたという逸話が二十四孝として残っている。
197年(建安2年)に袁術は寿春を都として皇帝に即位した。「国号を成と称号し、元号を仲家と定めたが、諸群雄の同意を得られず、また袁術本人の奢侈により人心を失った。」などという俗説があるが、実際には国号を仲としたと考えられている。俗説は『後漢書集解』にある「仲氏(仲家)とは劉氏の漢家や公孫述の成家のように」国号であるの一文を誤解したことに起因すると考えられている。
即位時に漢朝では献帝が存在していたため、諸侯からは皇帝として承認されず、また袁術自身も私欲による奢侈放蕩な生活を求め重税を実施したことにより兵士・領民は大いに飢え困窮し、民衆の反発を惹起した。この暴政に袁術の家臣からも袁術から離反する者が相次いだ。孫策も皇帝即位を諫める書簡を送っているが、諫言が容れられずやはり離反している。
同年、袁術は呂布に婚姻を持ちかけるが、呂布は陳珪の意見に従い婚姻を断った。そして呂布は袁術の使者の韓胤を曹操に引き渡し、曹操は韓胤を処刑した。激怒した袁術は楊奉・韓暹と共同戦線を結び、張勲らを派遣して呂布を攻めたが、陳登・陳珪の計略により楊奉・韓暹が裏切り大敗した。
同年、袁術は陳国(淮陽)に攻め込み、陳王の劉寵と陳国の相の駱俊を誘殺した。だが、曹操が自ら迎撃に来ると、袁術は逃走し、橋蕤らが曹操軍を迎撃したが大敗し、橋蕤は討ち取られた。この敗戦で袁術の勢力は大いに衰えた。
198年、袁術は呂布と同盟を結んだが、呂布は曹操に滅ぼされた。
敗戦と悪政のため勢力が衰え自立困難となった袁術は部下の雷薄・陳蘭のもとに逃げたが受け入れられず、199年(建安4年)6月、袁紹の元へ逃亡途中に病死した。『呉書』の記載によれば最後に蜂蜜入りの飲物を所望したが、蜂蜜が無く、「袁術ともあろうものがこんなざまになったか」と怒鳴り、一斗(当時は約1.98リットル)余り吐血して死んだと伝えられる。
袁術の妻子は、元の部下の廬江太守劉勲に身を寄せ、孫策が劉勲を破った際に孫策に保護された。袁術の娘はその後孫権の側室となり、息子の袁燿も呉に仕官している。しかし娘(袁夫人)には男子は生まれなかった(女子については不明)。また他の夫人の産んだ子を何人か彼女に養育させたが、いずれも夭逝している。実質的な正室である歩夫人が死去すると、皇后に立てようとする動きがあったが、袁夫人は辞退した。のち、潘夫人(孫亮の母)の讒言により、孫権に殺害された。
『三国志演義』では「伝国の玉璽」を得た事が皇帝僭称の直接的な動機になったとしている。また、第二十一回での袁術の死の描写では、雷薄・陳蘭らに略奪を受けついに糧食尽き、最後は蜜水を持ってくるよう料理人に命じたところ「ただ血水があるだけです。蜜水などどこで得られましょう。」と言われ、絶望して血を吐いて死んだとなっている。ちなみに横山光輝の漫画『三国志』ではさらに脚色が加えられ、ただ一人生き残った甥の袁胤と共に飢えの中歩き続け、とある農家で水を求めると、農民は水が入った瓶を倒して「さっきまで水はあったがね。今なくなっちまった。血ならまだ少しは体に残っているがね。」と答えるという印象的な場面となっている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
タグ:袁術
posted by うさんく斎 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 登場人物 「その他」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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